彦太郎の書斎

1992年は、有効求人倍率が1%を下回り、13年に及ぶ就職氷河期の始まりの年でした。バブル崩壊からはじまる日本の景気低迷のさなか、社会経済学者、渡植彦太郎が逝去しました。明治・大正・昭和・平成の4つの時代を生きた思想家の没から、まもなく30年を迎えようとしています。彼が残した研究や思想は、今も、その書籍を通じて伺い知ることができますが、一方で、故人が収集してきた膨大な図書が整理されないまま残されています。当ページでは、彼の研究や思想の礎となった、これらの書籍を蔵の中から掘り出し、皆様にご紹介するとともに、その軌跡を辿っていければと考えています。

書籍:学問が民衆知をこわす

渡植彦太郎(1899-1992)は社会経済学者です。

著書に「仕事が暮らしをこわす」「使用価値の崩壊」「技術が労働をこわす」「機能の復権」「学問が民衆知をこわす」「科学の内省」「経済価値の社会学」があります。

以下は、作家・青山淳平「人、それぞれの本懐ー生き方の作法」より抜粋・参照したものです。

渡植彦太郎は、1899年(明治32年)、東京・日本橋小網町に生まれました。幼名は秀太郎で、父親の死後、初代彦太郎の名前を引き継いでいます。

父・彦太郎は東京・芝の町名主の次男で、もともとの姓は伊藤でした。

父は東京の紙問屋に見習奉公に入って実力をつけ、やがて「渡植」という紙問屋の株を買って独立し、日本橋に店を構えました。

しかし、父は彦太郎が幼少時に他界。彦太郎は東京商大(現一橋大学)を卒業後、京成帝大からはじまり、福井大学、富山大学、横浜市立大学、甲南大学など、大学で教鞭をとった・・・。

曾祖父の書斎を整理している時に、二つ折りの、ホッチキス止めされた印刷物のコピーが本の間に挟まれているのを発見しました。

それは、『捨得庵(じっとくあん)放語』と題された曾祖父の随筆でした。 若い頃はお酒を吞むことがなかった彦太郎さんが年を重ねられ、少し吞めるようになり、お酒のある人生の愉しさが綴られています。

この『拾得庵放語』はシリーズ化されており、彦太郎さんの考え方や思いに触れられる事が出来ます。

この拾得というのは、中国唐の時代、台州にある天台山の国清寺にいたとされ伝説的な風狂僧だったとウィキペディアに載っていました。また、拾得はその様子があまりに風変わりな為に後世の人により、特別視され普賢菩薩の化身とされる説が生まれたようです。

破天荒な性格で自分というものを強くもちそれを貫き通した拾得…

そんな彼の事を彦太郎さんはリスペクトされていたことから、『拾得庵放語』と名付られたのではないかと想像します。

そういえば、曾祖父の自宅玄関には、『捨得庵』と書かれた大きな木の板が吊るされれていたのを思い出しました…。

これより、『拾得庵放語』の本文を掲載します。

  拾得庵放語                   渡植 彦太郎

殆ど酒をたしなまぬ私が酒を談ずることは、まことにおこがましい至りであるかも知れない。若い頃は全然酒が吞めないといってよい位であった。宴席へ出る時も、腹八分、御飯を入れて、宴席では出来る丈吞まず、止むを得ない時は、空にした吸物碗に流し込んでごまかしていた。それでも、私には、身体の調子で吞めることもあって、前後不覚に陥り、料亭の襖を蹴倒したりする不作法を演じ、果てはどうして自分の家迄たどりついたか覚えぬこともあった。 しかし、そんな時でも、決して酒をお美味しいなどとはいささか思いはしなかった。 ところが、第二次大戦中食糧が全部配給制になった時、その配給の酒を吞んでみたら、滅法お美味しいので、自分ながらびっくりして仕舞った。栄養失調をお酒が補って呉れたらしい。しかも、その後食糧関係が平常に戻ってからも、お酒のお美味しさを忘れない。今日でも、ごく小量であれば結構お美味しく頂ける。 これから判断すると、生れ付き、酒の味がわかって、しかも、存分吞める人はさぞ楽しみの多いことであろう、と羨ましい次第である。酔っぱらって、随分不始末をする人もあるがそれを咎め立てするより、その楽しさを羨む方が先に立つ。 女性関係等も、真剣な恋愛は酒抜きに限るともいえようが、そうした生真面目な恋愛丈が男女間の愛情の全てでもあるまい。真剣な恋愛の結果の夫婦生活が案外シックリ行かなかったりするのも、酒を全然たしなまぬ男性は仲々扱いにくいところがあるからではあるまいか。 酒を吞んで、互いに心がほぐれ、相手を憎からず思う、ホノボノとした男女間の愛情というものも、人生の中で捨て難い味わいではあるまいか。勿論、それがキッカケで、変に深入りして二進も三進も行かなくなる危険はあるが。しかし、こうした味わいも、われわれ下戸には縁遠い話で、これも酒呑みを羨む一つの種ではある。 大酒呑んで馬鹿さわぎの揚句、喧嘩沙汰に迄及ぶのは勿論感心出来ないが、浅酌低吟の静かな楽しさというものも、下戸のあずかり知らないところである。久々で、親しい友と会っても、イキナリムシャムシャと物を喰べるのはどう考えても殺風景の至りで、やはり、一杯行こうという手順があって然るべきであろう。 自分では一向たしなまぬくせに、一人前の男性で酒一滴も口にせぬという生真面目な人も、私の趣味に合わない。たしかに、酒の味を知らぬ人は度を過ごす大酒呑みよりは無難であるに相違いない。が、無難ということは同時に面白味もないということである。酒を呑まないで、つまらない人間になるというのも余り有難くない気がする。 もっとも、私が酒くせの悪い友人を余り持ち合わせていないから、こんな呑気なことをいうのかも知れない。酒を呑んで自分も愉快になり、相手も楽しくさせるというのは大した手腕で生やさしいことではあるまい。したがって、そうした酒呑みにも滅多に出合わないことは事実である。 しかし、酒を呑んで、少々のしくじりはあっても、存分に呑める人生の方が楽しいに相違ないし、又、酒をたしなむ人の方が交わって、味わいの深いこともたしかだ。

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